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先日9月30日、お笑い好きのわたしにとってとってもショッキングなニュースが飛び込んできました。
みなさんもご存知の通り笑点(日本テレビ)の紫の着物でお馴染み落語家の六代目・三遊亭円楽師匠がお亡くなりになりました。
本日はそんな円楽さんのことについてわたしなりにお話しします。
Contents
六代目三遊亭円楽師匠のデータ。
円楽さんのデータを以下にまとめました。
高座名・芸名 | 六代目・三遊亭円楽 |
本名 | 會泰通(あいやすみち) |
生年月日 | 1950年2月8日 |
師匠 | 五代目・三遊亭圓楽 |
入門 | 1970年4月 |
名跡 | 三遊亭楽太郎(1970-2010) 三遊亭円楽(2010-) |
出囃子 | 元禄花見踊 |
笑点メンバー入り | 1977年8月 五代目圓楽の後任。 |
主なキャラクター | イケメン インテリ 腹黒 友達がいない人 |
その他のキャラクター | 税金(税務大学校の講師) 介護実習(歌丸や小遊三を相手にw) ゲートボール ゴルフ 代々木アニメーション学院 |
愛称 | 楽さん(五代目圓楽、歌丸) 楽ちゃん(こん平) ラッキー(サンフランシスコ収録時に自ら) らっきょ(三波) 円楽っち(たい平) |
親族(芸能人のみ) | 会一太郎(息子・声優) 佐々木愛(息子の妻(義理の娘)・声優) |
息子さんである会一太郎さん(円楽さんの喪主も務めた)は声優として芸能界に入っていますが、「三遊亭一太郎」という高座名で噺家としてご活躍されています。師匠は父親である円楽さんです。
一太郎さんは現在青二プロダクションに所属しています(円楽さんは星企画→オフィスまめかな)が、プリキュアシリーズ(朝日放送)は未登板です。なお、ポプテピピック(BS11)には登板しています。
同じ二世タレントで声優は落合福嗣さん(父親が落合博満さん)がいますが、福嗣さんはHUGっとプリキュア(朝日放送)でチャラリートと言う悪役で登板済みです。なお、スーパーロボット大戦Tでは一太郎さんも福嗣さんもちょい役で登板しています。
呼称について。
一般的に円楽さんの愛称は楽太郎時代から通して「楽さん」「楽ちゃん」です。前者は桂歌丸さんや師匠である五代目三遊亭圓楽さんから、後者は林家こん平さんから言われます。(主に楽太郎時代、円楽以降は「円楽さん」と呼ばれてた)
わたしがTwitterなどで「ラッキー」と呼んでいるのが円楽さんです。歌丸さんは「ジジイ」、こん平さんが「肥溜め」、五代目圓楽さんが「馬」と言うふうにね。全部元ネタは笑点。
五代目三遊亭圓楽 | 馬(馬頭観音)、借金王(若竹) | 桂歌丸 | ジジイ、横浜のおじいさん |
林家こん平 | 肥溜め | 林家木久扇 | バカ、黄色いラーメン屋、黄色 |
三遊亭好楽 | 貧乏、池之端しのぶ亭 | 三遊亭小遊三 | 泥棒、大月の人 |
六代目三遊亭円楽 | ラッキー、紫、友達がいない人 | 春風亭昇太 | 独身(結婚後も継続) |
林家たい平 | 恐妻家、オレンジ、秩父の人 | 二代目林家三平 | 愛妻家 |
桂宮治 | (まだ決まってません) | 山田隆夫 | 動くバイアグラ |
松崎真 | 横断歩道 | 初代三波伸介 | 豚、先生 |
円楽さんが「ラッキー」と言うあだ名をつけたのは1979年のサンフランシスコ公開収録の自己紹介の時です。円楽さんは「街でであったら気軽に楽太郎と呼んでください、これでなければ「はーい、ラッキー」。これだけで結構でございます」と発言したのがきっかけで円楽さんを「ラッキー」と呼ぶようになります。(ちなみにわたしはDVD-BOXで視聴済み、下記リンク先の商品は別商品のため収録されていません、ご了承ください。)
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なお、その後笑点50周年記念本でも円楽さんは「僕のニックネームはラッキーだ」と当時のサンフランシスコ公開収録のことを発言していました。
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ちなみに、当時の司会者であった初代三波伸介さんから「ラッキー」の他に「らっきょ」ともその収録で言われていました。w
笑点のかき回し役。
円楽さんのキャラクターといえば、ご存じ「お腹が黒い」「友達がいない」といった嫌われ者から青山学院大学出身でアメリカの大学で博士号もとったことから「インテリ」キャラも兼ねています。(大体はスルーされたりいじられるがw)
インテリキャラの中に「税務大学校の講師を務めてた」と言うのがあります。これはメイコとあなたの税ミナール(フジテレビ)で中村メイコさんのアシスタントを長年勤めてたこともあり、税に関しても造詣は深いです。まぁ、笑点では博士号同様いじりのネタにされるだけだが。w
また、マラソンランナーの瀬古利彦さんに似ていると言われており、笑点でもネタにしたほどです。ちなみに瀬古さんは円楽さんの6歳年下です。
モノマネレパートリーは先代の圓楽さんや田中邦衛さん。
桂歌丸さんとのバトル。
円楽さんといえば長年共演してきた桂歌丸さん(2018年逝去)とのバトルです。
歌丸さんとは1977年の円楽さん(当時は三遊亭楽太郎)の加入から2016年に歌丸さんが卒業されるまで39年の長きにわたって共演していました。そのうち10年は司会、両隣は1988年ごろから2005年まで(歌丸さんが代理司会されてた時を含まず)の17年なので、それだけ長かったと言います。
基本的に以下の項目でいじってきます。
円楽→歌丸 | 歌丸→円楽 |
歌丸死亡(出棺、脈がない、骨上げなど) ハゲ 会長(怪しい鳥) カツラ(「それいらない」など) 冨士子夫人(恐妻ネタ) | 腹黒 友達がいない 「誰か他にいない?」 三遊亭悪太郎 「圓楽さんの悪口ばかり」 |
歌丸さんの痩せた体格や頭が淋しいのを踏まえて「歌丸死亡」「それいらない」などおちょくっては爆笑を撮り、歌丸さんが司会の時は問答無用で座布団を没収してました。
そんな歌丸さんですが円楽さんと非常に仲が良く、円楽さんも「自分の父親、師匠(五代目圓楽さん)に次ぐ第3の父」として慕っていました。(なお、ネタにする際は笑点同様「車椅子から落とした」などと発言して爆笑を取ってた)
実際、円楽一門会の円楽さんは落語芸術協会の高座に上がったり、客員として協会入りしています。これも会長だった歌丸さんや副会長の三遊亭小遊三さんの協力(どちらも当時)があったといいます。
三遊亭小圓遊さんの後継者。
元々歌丸さんには宿敵がいました。それが四代目三遊亭小圓遊さんです。
小円遊さんとは「ハゲ(歌丸)」「お化け(小円遊)」と罵り合い、一時期は「和解式」として三波さんや圓楽さん立会いの中行われたほどです。
実際の席でも歌丸さんと小円遊さんは端っこに座っており(現在は小遊三さんと桂宮治さんが座る)歌丸さん、林家木久扇さん(当時・林家木久蔵)と小円遊さん、林家こん平さんという構図が出来上がっていました。
笑点で円楽さん同様犬猿の仲とも言われていましたが、実際は同じように親友同士でした。
しかし1980年に小円遊さんが急逝し、歌丸さんをいじるメンバーがいなくなりました。そこで白羽の矢が立ったのが円楽さんだったんでしょう。
円楽さんのキャラクターを確立するのと、歌丸さんのライバル(いじるメンバー)が欲しいという利害が一致した結果、こうなったのかもしれません。もちろんその後のご活躍は言うまでもありません。
ちなみに、小円遊さんの青の着物を受け継いだのはピンクの着物を着用していた林家九蔵さん。現在の三遊亭好楽さん(円楽さんの兄弟子)です。好楽さんは林家彦六師匠が他界した後五代目圓楽さんの門下へ移籍、「三遊亭好楽」を名乗り、一時降板。青の着物は小遊三さんに受け継がれ、ピンクの着物は七代目桂才賀さんから受け継ぎ現在に至ります。
三波伸介さんの時代からキャラ転換、腹黒キャラが確立。
そんな円楽さんですが、初代三波伸介さんが司会だった頃に三笑亭夢之助さんと一緒にメンバー加入当初は腹黒キャラではありませんでした。(前任者は五代目圓楽さんと六代目三遊亭圓窓さん)
DVD持っているので見てみると、今の円楽さんとは大きく異なっています。
円楽さんが「お腹が黒い」と言われたのが歌丸さんからの助言だったそうです。
当時そこまでキャラが立っていなかったので、どうしようか悩んでいた時に先輩である歌丸さんから「あたしのことでもいいから」と言うことで頻繁にいじるようになります。
それが「歌丸出棺」だの「ハゲたジジイ」だの「やるかジジイ」だのといった悪口で腹黒キャラが確立。その後師匠である五代目圓楽さんを筆頭にメンバー全員をいじるようになります。
特に師匠である五代目圓楽さんは歌丸さん同様悪口ばかりいえば、五代目圓楽さんはやり返します。いじりネタは「馬」「若竹(の借金)」が基本。(「お小言」「緻密な司会(ミスが多い)」や「十三回忌(五代目圓楽死亡)」ネタは主に歌丸さん)
ブラック団。
2006年に五代目圓楽さんの卒業とこん平さんの復帰の目処が経たない(事実上の卒業)ということもあり、新たに春風亭昇太さんと林家たい平さんがメンバー入りします。
たい平さんは2004年末にこん平さんの代役としてメンバー入りしています。当時のOPでたい平さんがクレジットされなかったのはあくまで「こん平さんの代役」という立場だったためです。正式メンバー入りしてからクレジットされます。
円楽さんは昇太さん、たい平さんと「ヤングフレッシュチーム」を(強制的に)作ります。
その後、名前を「ブラック団」と変更し、円楽さんを団長、たい平さんをリーダー、昇太さんをキャプテンとします。
基本的に円楽さんが他の二人を巻き込んで歌丸さんをいじる回答を出して仲良く座布団を没収されるのがお決まり。最初は二人とも(乗り気がなく)やってたが、たい平さんは察してか途中でやめて没収を阻止することがあります。
もちろん円楽さんを裏切る回答もありました。
また、ブラック団の各々のキャラクター(腹黒、独身、恐妻など)でいじられたり、そのとばっちりで没収されたりすることもあります。
歌丸さんが司会だった時に全員の座布団を全部没収するいわゆる「歌丸ジェノサイド」というものがありましたが、基本的に円楽さんやたい平さんが引き金になることが多かったですね。
後述する「友達いない」爆誕回の時も全員没収が発動されており、そのお題で仕返しとばかりに悪口大会を繰り広げます。もちろん昇太さん、たい平さんも。
昇太さんが司会になってからは二代目林家三平さんを新団員にする旨を語ってましたが、その後の活動は基本的になし。
また、ブラック団は御三方の落語会の名称で使われることも多かったといいます。
「友達がいない」のは円楽になってから。
円楽さんの「友達がいない」キャラクターは円楽襲名以降に確立されます。
元々インテリでお腹が黒いキャラクターでしたが、円楽襲名回以降はさら「友達いない」キャラクターが爆誕します。
きっかけは笑点の円楽襲名披露口上回の大喜利3問目の「襲名したばかりの円楽さんを乗せたタクシーの運転手」になって一言というお題。
2問目で全員の座布団が全部没収されたのもあり、案の定仕返しとばかりに円楽さんの悪口大会になります。(「笑点のチケットを2千円で売りつけた(実際の収録は無料)」「塩をまいてた」など)
その最後に円楽さんが自ら答える事となり、「襲名おめでとうございますって言ったら、「そう言ってくれるのは君だけだよ」って泣いてました」と言う回答に会場大爆笑、円楽さんに座布団3枚与えて終了。以後友達がいないキャラクターとしていじられることになります。
2019年ごろから隣のたい平さんと「円楽っち」「たい平っち」親友ネタを披露することになります。
友達はいないけど、コネクションはある。
円楽さんは歌丸さんの落語芸術協会を筆頭に他の落語家ともコネクションがあります。
特に初代司会者であった七代目立川談志さんに可愛がられていたのは有名。
また1970年代の落語協会分裂騒動を知っているため、東京の4団体(落語芸術協会、落語協会、円楽一門会、落語立川流)と上方落語協会を一つにまとめたかったのもあります。それを実現しようと奔走して出来上がったのが「博多天神落語まつり」です。
落語まつりは2007年から定期的に福岡県で開催される一大イベント。大きな特徴は団体を問わない落語家が集まっていることです。
円楽さんは談志さんや六代桂文枝さんなどのコネクションを持つことにより、団体を問わない大きなイベントを開催することができました。円楽さんにとって分裂騒動を経験しているからこそ、「今は一緒になる時」と言う気持ちは人一倍あったと思います。
そして亡くなった際にも沢山のお仲間が弔問に訪れました。
昇太司会以降、自称笑点のオピニオンリーダーを名乗り、司会の座を狙う。
2016年に歌丸さんから笑点の司会を譲り受けた昇太さん(落語芸術協会の現会長)になってからも円楽さんは大暴れします。
昇太さんに対しては「独身」「司会の座を狙う」といった弄りを発動、特に後者は「世間でも時期司会は円楽」とマスコミやSNSなどで言われたこともあり、それをネタにした形です。当然昇太さんから座布団を没収されます。w
実際は「おれが司会するよりも回答者として回した方が面白い」と自覚しています。
なお、エイプリルフールなどでネタとして司会の席に座ったことはあります。自分の席に昇太さんが座ってたこともあり、昇太さんに座布団をたくさん与えます。これがのちの放送で「すぐに10枚になる」という計画でしたが、当然昇太さんから没収されます。w
圓生を襲名しようと考えてた。(ネタ、マジ含め)
円楽さんは「圓生を繋ぎであっても襲名したい」と言う気持ちもありました。
大師匠である六代目圓生師匠が1979年にお亡くなりになってから40年以上圓生の名跡は空席でした。
その円楽さんが「圓生が落語界にいないのは勿体無い」と意気込んでいました。しかし、それも叶わぬものとなりました。
戒名で「圓生」をつけていることから、本気で考えてたんじゃないでしょうか?
ちなみに笑点でも2016年の不倫騒動直後の大喜利で昇太さんから「圓生を継ぐんですか?」とおちょくられてました。w
代書屋・天野幸夫伝。
円楽さんの落語の中で個人的におすすめしたいのがこの「代書屋・天野幸夫伝」です。
代書屋は上方の噺で、四代目桂米團治師匠が創作した落語です。代書屋(文字の書き起こし、ヴァイオレット・エヴァーガーデン(朝日放送)とほぼ同じ)の前に無筆(字が書けない)の男が履歴書を作るために現れます。
その無筆の男がこの噺の場合、「天野幸夫」と言う男になります。この天野幸夫は実は小遊三さんの本名。天野(小遊三さん)が落語芸術協会を公益社団法人にするために履歴書を代書するという内容です。
当然ですが、小遊三さんのネタ(泥棒、エロ、イケメンなど)を随所に散りばめられたものになっています。歌丸さんの本名である「椎名巌」も出てきます。w
笑点の視聴者なら必ず笑う落語の噺です。
ちなみに本名でると爆笑が取れますが、特に歌丸さんと小遊三さんはその頻度が高い。また、歌丸さんのご自宅がある「横浜市真金町」も出るだけで爆笑が取れます。w
実は3回、生で見てます。
実はわたし、円楽さんを生で見てます。
1回目は2010年の円楽襲名披露が松山市で行われたとき。2回目は2016年に風間杜夫さんとの二人会を三木町で行われた時。そして3回目が2018年の笑点公開収録を高松市で行った時です。
その時に歌丸さん(1回目)、三遊亭好楽さん(1回目、3回目)、三遊亭王楽さん(1回目)などお馴染みのメンバーも脇を固めていました。実は歌丸さんも1回生で見てるんですよね。w
いつもの歌丸いじり。
そんな円楽さんですが、高座での落語は当然歌丸さんの悪口から始まります。
これは円楽さんのつかみの十八番であるのは言うまでもなく、笑点を絡めたネタであっためてから本題の落語に移ります。
松山市で行われた襲名披露独演会も三木町の二人会でも当然「歌丸が生きてました」など歌丸さんをネタにします。
さらにいえば、襲名披露独演会の時に悪口を言えば舞台袖から歌丸さんが登場して会場は爆笑の渦になりました。着物を脱いで股引姿の歌丸さんは非常に印象に残っています。w
ちなみに、風間さんとの二人会の時は「友達はいない?→○」と言うネタも披露してます。
晩年は病魔との闘い。
円楽さんは60歳になって円楽襲名後も元気いっぱいに大活躍します。
しかし、60代後半からは病魔との闘いを余儀なくされたそうです。
2018年に肺がんを公表してから、2019年には脳腫瘍が見つかり、懸命な治療を受けていました。(見つかったのが奇しくも歌丸さんの四十九日の時。)
その際に関連イベントに出た際も「早期発見は大事」と毎年がん検診を受けていたそうです。
円楽さんは2015年放送の得する人損する人(日本テレビ)の番組内で行われた健康診断で「肺の年齢が高い」の結果が出ました。円楽さん曰く「喘息持ちで治療中」とのことでした。
そして、2022年に脳梗塞で倒れてからは賢明な治療とリハビリを行い、8月に高座復帰。その間にも後楽園ホールで収録再開された時に陣中見舞いをしてうなぎをお裾分けしていました。
ついでに言えば、その回の大喜利3問目もVTRで登場し、元気にうなぎ食べて(今の笑点のダメ出しをしてw)自分の作った問題を出してた。(この回が笑点における円楽さん最後の出演になってしまった。)
元気にうなぎ食べてた回および寄席の直後に肺炎を患い入院。肺炎は治ってがん治療に進む直後に容体が悪化。元気にうなぎ食べてた回の放送からわずか1ヶ月後に帰らぬ人になりました。
まとめ。
まとめです。
本日は9月30日にお亡くなりになった六代目三遊亭円楽さんについてお話ししました。
笑点では「腹黒」「インテリ」「友達がいない」と言うキャラクターです。特に桂歌丸さんや師匠である五代目三遊亭圓楽さんへのイジりは爆笑を誘いました。
友達がいないと言われていますが、もちろんネタであるのは百も承知。実際は七代目立川談志さんに可愛がられたり、上方の落語家や落語芸術協会、落語協会の落語家とも親しかったといいます。そうじゃなければ博多で落語まつりはできません。
晩年は肺がんなど病気との戦いでした。8月の講座復帰や元気にうなぎ食べてた笑点の回からたった1ヶ月後に帰らぬ人となり、非常にショックを受けました。
引越しの最中にこの訃報を聞いたので、かなり落ち込みました。今回執筆するかどうか悩みましたが、改めてペンを取ろうと書きました。
円楽さんは六代目襲名の時こんなことを語っていました。
襲名でごろっと(芸風が)変わることは無い。
でも、人生の幕を閉じる時に『2代続けてよかったなぁ』と言われたい
名前は大きく出来ないけど、つぶさない。守っていきたいと報告したい
引用元:オリコン
先代の五代目圓楽さんがその場にいなかったが、その後の落語まつりに代表される団体問わずの落語家の集まりのイベントを立ち上げたりとものすごく落語界に貢献しました。文字通りつぶさず守っていき、二代続けてよかったと思います。
友達がいないと笑点で言われながらも仲間やファンから親しまれた円楽さん、本当にお疲れ様です。
円楽さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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